創業への想い

グローバルに働くことを楽しんで欲しい。
楽しんで働くからこそ、想いが繋がり、
ビジネスになる。

私自身15年以上に渡り中小メーカーの海外展開に携わってきて最も苦労したことは、何でも1人でやらなければならないというプレッシャーと孤立感でした。日々さまざまな企業の海外事業部とお仕事をしながら、人材不足のために発生する問題や現場の担当者の苦労を目の当たりにするたびに、この課題の解決のために何ができるのか考えてきました

海外業務は、簡単には習得できない語学や海外経験が必要な仕事ということもあり、社内での研修や業務継承が進んでいない企業も多く、その結果、今ある人材と企業が求める人材像に大きなギャップが生まれています。

例えば、

①語学力や海外経験はあるが、職務経験・業界知識が無い。
②職務経験・業界知識は十分にあるが、語学力、海外経験が乏しい。

私はまさに前者の①でした。社内に海外担当は1人きりなど海外業務に慣れた上司や同僚に恵まれない環境もあり、担当者は求められる人材像とのギャップや、中小企業特有の”業務の属人化”で、精神的にも組織的にも孤立してしまいがちです。離職も多いため、次世代人材が育たずに今いる社員に大きな負担がかかるという悪循環が続きます。

私は、今いる人材と求められる業務のギャップを外部の専門家を活用して埋めることから始め、それから社内の誰でも業務ができる仕組みに整えていくことが、結果的には人材に頼らない海外体制作りの早道だと考えています。

人材が不足する状況は今後も一層深刻化するため、優秀な人がいなくても、安定的に海外ビジネス活動を継続できる体制作りは急務。地方発中小企業の海外ビジネス発展のため、経営者の皆様に寄り添って海外ビジネス体制の構築をお手伝いしたいという想いでエーワンを起業しました。

海外展開の成功を左右するのは”人材に頼らない業務の仕組み”。
ぜひ御社の海外ビジネスの発展をお手伝いさせてください。

エーワン代表
畠山 菊花

代表の略歴

1977年

長野県諏訪市生まれ

町工場を経営する両親のもと、妹2人と一緒に内職を手伝うなど、モノづくりとともに育つ。

1996年

高校卒業後、単身アメリカへ留学

中学の頃にハリウッド映画で見たアメリカに魅了され、英語の勉強に没頭。
高校の時に姉妹都市事業でホームステイに参加したことをきっかけにアメリカ留学を志す。

2001年

オハイオ州立大学 卒業

卒業後、ニューヨーク市のバイリンガル人材紹介会社に勤務。
アメリカ同時多発テロ(9.11)に遭遇。派遣社員や取引先の安否確認に奔走。
アメリカ滞在7年半で帰国を決意

オハイオ州英語学校時代
大学時代バレーボール部
2003年

帰国後、地元長野に戻る

米系写真用品大手のデジタルカメラ部門に入社

中国の生産拠点3箇所の生産管理や主要部品の調達業務を担当。
アメリカ、中国、香港、スウェーデンなど多国籍チームの中で働く。

2009年

電磁石の国内リーディングメーカーへ転職

海外営業を担当。
セールスエンジニアの経験ゼロで海外販売比率が1桁台だった会社を3年で30%へ急成長させる貢献。

最優秀サプライヤー賞を2年連続受賞

属人化で不安定だった顧客対応業務を、誰が行っても同じ成果を出せる仕組みに整備、
顧客からの信頼を獲得し最優秀仕入れ業者として表彰されるなど、多くの海外顧客を長期取引に成長させた。

10年以上新人教育を担当、海外ビジネス未経験者を指導。

フランス出張にて
2014年

女性初の駐在員として香港の営業所へ

通算26か国の企業からの窓口対応香港駐在を含め11か国で商談経験あり。
製造業にて技術翻訳歴12年。これまで行ったアテンド通訳、ウェブ商談は1000件以上

香港事務所にて
2017年

結婚、出産

40歳にして1人娘を出産。

2019年

育児休業を経て、時短勤務で職場復帰。

子育て、親の介護、仕事の両立や、海外出張のある仕事から内勤に変わり今後キャリア悩み始める。

2021年

会社を退職。個人事業主に。

予算無し、人手不足、海外ノウハウの共有不足で苦労し孤立しがちな海外担当者を支援するサービスを提供したいと独立

地元だけではなく、オンラインでの支援にも力を入れ、県外での仕事にも積極的に挑戦している。

子連れで出張

講演・セミナー依頼

企業や公的機関、商工会からのご依頼で講演を行っています。